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千葉地方裁判所松戸支部 昭和53年(ワ)160号 判決

原告

伊藤治三郎

原告

伊藤四郎

原告

伊藤須佐治

原告

竹脇むめ

原告ら訴訟代理人弁護士

須賀貴

右同

市川幸永

右同

村井勝美

被告

平野勉

被告訴訟代理人弁護士

饗庭忠男

右同

小堺堅吾

主文

一  被告は、原告伊藤治三郎に対し全四九一万八、四七七円、同伊藤四郎、同伊藤須佐治、同竹脇むめの各自に対しそれぞれ金四六四万八、四七七円並びに右金員のうち原告伊藤治三郎については金四五一万八、四七七円、その余の原告ら各自については金四二四万八、四七七円に対する昭和五〇年六月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決のうち原告ら勝訴の部分は仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告伊藤治三郎に対し金五六九万三七七円、同伊藤四郎、同伊藤須佐治、同竹脇むめの各自に対し、それぞれ金五三九万三七七円並びに右金員のうち原告伊藤治三郎については金五一九万三七七円、その余の原告ら各自については金四八九万三七七円に対し、昭和五〇年六月一二日より支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは亡伊藤武司(以下「亡武司」という。)の兄弟姉妹であり、被告は千葉県松戸市北松戸二丁目七番八号で東京外科内科病院(以下「被告病院」という。)を営み、医師柳澤正敏(以下「柳澤医師」という。)を雇傭するものである。

2  交通事故による受傷と診療経過

(一) 亡武司は、昭和五〇年六月一一日午前〇時一八分頃、普通トラックを飲酒酩酊して運転中、松戸市南花島一丁目二番一七号先道路で停車中の軽ライトバンに追突して受傷し、同所より直ちに同日午前〇時三〇分頃救急車で被告病院に搬送された。

(二) 被告病院の当直の柳澤医師は亡武司が飲酒運転中に追突事故を起こしたことを知つて診察したが、亡武司が酩酊して診察に非協力的であつたとして、血圧130/74を測定したのみで異常なしと診断し、同日午前二時頃松戸警察署に連絡して亡武司を被告病院から引取らせた(以下「第一回診察」という。)。

(三) 亡武司は、松戸警察署に引取られた後も激しい腹痛と吐き気が続いたので、同署警察官は、同日午前二時五〇分頃、兄の原告伊藤治三郎(以下「原告治三郎」という。)らを付添わせて、再度被告病院へ搬送して柳澤医師の診察を受けさせた。

柳澤医師は、亡武司が今度は診察を受けられる状態になつていたのでかなりの時間をかけて診察したが、受傷後約三時間経過した亡武司の症状につき、血圧130/82(第一回診察では130/74)、筋性防禦なし、腹部X線撮影による遊離ガスは認められないという所見(以下これらを「第二回診察の三つの所見」という。)であつたので、腹部内臓に異常なしと診断し、鎮痛剤ブスコパンを注射し、付添の原告治三郎らに異常がないから連れて帰るように伝えた。原告治三郎は、亡武司の苦しみ方が激しいので、異常がない旨の診断に疑問を抱き、再度診察してほしい旨訴えたが、柳澤医師は、強く、異常がないから連れて帰るよう伝えたので、同日午前三時三〇分頃亡武司を連れて被告病院を出た。その際異常がないと言うだけで交通事故の腹部打撲の危険性や治療の緊急性、経過観察の必要性についてなんらの指示説明はなかつた。

(四) 原告治三郎は同日午前四時頃亡武司を同原告宅に連れ帰り寝かせていたが、相変らず腹痛を訴えるので同日午前五時三〇分頃知合の東京都江戸川区西小岩一丁目二九番八号の東病院に電話したところ、痛がつているのなら連れてくるようにと言われたが、亡武司が動かさないでくれと頼むし、前記のとおり柳澤医師からくり返し異常がないと説明を受けていたので、もう少し様子を見るつもりでそのまま寝かせておいた。

(五) 同日午前六時頃原告治三郎は自宅を出て追突された車両の持主方へ謝罪のため行き、その帰途、同日午後一時頃、スクラップ屋で亡武司が運転していたトラックを確認してその破損状態が甚だしいのに驚き、亡武司の負傷の程度が大きいと直感し、同日午後一時三〇分頃急いで帰宅し、亡武司を午後二時頃東病院に搬送した。

(六) 東病院の医師福家理(以下「福家医師」という。)は、同日午後二時頃、亡武司を診察し、腹部膨満、顕著な圧痛、腹壁緊張等から急性腹膜炎の診断をして直ちに開腹手術を行つた。その結果、亡武司は腹部並びに右胸部挫傷(胸腟内出血)、上行結腸並びに横行結腸断裂、腸管膜損傷の各損傷を受け急性腹膜炎を起こしていることが分り、横行結腸切除吻合、腸管膜損傷部の止血等の手術が行われたが、既に手遅れであり、急性腹膜炎が回復しないまま同年七月二九日同病院で腸管壊死により死亡した。

3  柳澤医師の過失と被告の責任

亡武司が本件交通事故により右胸部挫傷(胸腔内出血)、上行結腸並びに横行結腸断裂、腸管膜損傷等の受傷をしたことは東病院の開腹手術の所見で明らかである。柳澤医師は、第二回診察において、亡武司の血圧が正常であつたこと、筋性防禦がなかつたこと、腹部X線撮影で遊離ガスが認められなかつたことの三つの所見から腹部内臓に異常なしと診断し、その後の治療や経過観察につきなんらの指示を与えることなく亡武司を帰宅させた。

しかし、医学上自動車運転者の衝突による腹部外傷は腹部内臓破裂の可能性があり、その場合診療が遅延することは致命的な危険を来たすものであり、そうして受傷後三時間の時点では前記三つの所見があつたからといつて内臓破裂の可能性がないとは絶対にいえないのである。本件の場合現に亡武司が腹部の激痛と吐き気を訴えているのであるから、医師としては一回の診察だけで異常なしと診断するのは極めて杜撰であつて、少くとも二四時間ないし四八時間は入院させて三〇分毎位に経時的に診察を続けるべき注意義務があり、これをしておけば比較的早い時期に亡武司の前記腸管損傷等を発見できた筈であつた。

また交通事故の腹部外傷では腹部以外の内臓の損傷を合併していることが多いので、医師としては、診察の早い時期において胸部のX線撮影をすべき注意義務があり、これをしておけば亡武司の胸腔内出血を確認できて、腸管損傷の可能性を認識できた筈であつた。

柳澤医師には前記注意義務を怠つた過失があり、被告は柳澤医師を雇傭するものであるから、民法七一五条により、柳澤医師の過失による原告らの損害を賠償すべき責任がある。

4  損害

(一) 亡武司の逸失利益 金二、六二三万二、六五七円

(二) 亡武司の慰謝料 金八〇〇万円

(三) 相続

(四) 葬儀費用 金三〇万円

(五) 弁護士費用 各自金五〇万円づつ(合計金二〇〇万円)〈以下、省略〉

理由

一当事者

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二交通事故による受傷と診療経過

請求原因2の(一)、(二)の事実及び昭和五〇年六月一一日午前二時五〇分頃亡武司が松戸警察署から被告病院に搬送され柳澤医師の診察を受けたこと、その際柳澤医師は亡武司の症状につき血圧130/82、筋性防禦なし、腹部X線撮影による遊離ガスは認められないという所見で鎮痛剤ブスコバンを注射したこと、付添人に腹部に異常がないから連れて帰るように伝えたこと、同日午前三時三〇分に亡武司は被告病院を出たこと、同日午後二時頃東病院の福家医師が亡武司を診察し開腹手術を行つたこと、同年七月二九日亡武司は東病院で腸管壊死により死亡したこと、以上は当事者間に争いがない。

右当事者間に争いがない事実と〈証拠〉並びに鑑定の結果によれば次の事実が認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。

1  昭和五〇年六月一一日午前〇時一八分頃、亡武司は飲酒酩酊して泥酔に近い状態で並通トラックを運転中に松戸市南花島一丁目二番一七号先道路で停車中のライトバンに追突して負傷し(以下「本件交通事故」という。)、同日午前〇時三〇分頃救急隊員に付添われ救急車で被告病院に搬送された。

2  被告病院は救急病院の指定を受けているもので、当日の当直医は柳澤医師であつた。柳澤医師は救急隊員と亡武司から自動車の飲酒運転中に他の自動車に追突して負傷した旨を聞き、診察した(以下この診察を「第一回診察」という。)。亡武司は、顔面に打撲擦過傷が見受けられたが、泥酔に近い状態で柳澤医師の問診に殆んど答えないので、それ以上の診察をすることができなかつた(亡武司が医師や看護婦に攻撃的暴力的言動をしたことを認めるに足りる証拠はない。この点に関する証人柳澤正敏の証言部分は記憶に曖昧な点が多く措信しない。)。柳澤医師は看護婦に亡武司の血圧130/74を測定させ顔面の打撲擦過傷に消毒薬を塗布しただけで松戸警察署に引取るよう伝え、午前一時二〇分頃松戸警察署に搬送させた。

3  同日午前二時五〇分頃、柳澤医師は松戸警察署より亡武司が腹痛を訴えているのでもう一度診察してほしい旨の依頼を受け、再び、同署より被告病院に搬送されて来た亡武司の診察に当つた(以下この診察を「第二回診察」という。)。

第二回診察では兄の原告治三郎と叔父の伊藤倉吉が付添つた。亡武司の酩酊の度合は診察を受ける状態になつていて、亡武司は腹部に痛みを訴えていたが、吐く息から酒の臭いが感じられた。柳澤医師は看護婦に血圧130/82を測定させ、痛みを訴える腹部を中心に聴診、触診、打診を行つた。顔面以外には皮膚に傷は見当らなかつた。筋性防禦の有無を確めたが(−)(マイナス)であつた。腹部X線撮影を行いフリーガスの存在を調べたがX線上その存在は認められなかつた(被告はX線写真の原本を提出しないのでフリーガスの存否を確認することはできないが、柳澤医師はその旨証言している。)。

柳澤医師は、右の診察と検査結果から、腹部内臓に異常なく、腹痛については腹部打撲傷によるものと診断し、痛み止めにブスコバンの筋肉注射を行い、亡武司と付添の原告治三郎と伊藤倉吉に腹部内臓には異常がない旨説明し(今の時点では異常がないと説明したのではない。)「痛みが取れないようであればまた連れてくるように」と伝えた。原告治三郎は現に亡武司が腹痛を訴えているので異常がない旨の診断に疑問を抱き、もう一度診察してほしい旨頼んだが、柳澤医師は異常がない旨の説明をくり返し、強く連れて帰るように伝えたので、同日午前三時三〇分頃同原告と伊藤倉吉は亡武司を連れて被告病院を出た。被告病院の看護婦は原告治三郎らが病院を出るとき「様子がおかしく変つたことがあつたらまた来るように」と伝えた。

その間、柳澤医師は亡武司らに自動車事故による腹部打撲は内臓損傷の危険があるので経過観察の必要があることやその治療は緊急を要すること等についてなんらの説明をしなかつた。

4  その後原告治三郎は亡武司を同原告宅に連れて帰つて寝させていたが、相変らず腹痛を訴えて苦しむので、同日午前五時三〇分頃、知合の東京都江戸川区西小岩一丁目二九番八号所在の東病院に電話したところ、看護婦らしい人から「そんなに痛がつているのなら連れて来るように」といわれたが、亡武司が「しばらくそつとしておいて動かさないでくれ」と頼むし、また柳澤医師がくり返し異常がない旨説明したことでもあるので、暫く様子をみるつもりで、妻の伊藤チエ子に柳澤医師が異常がない旨説明したことを伝えて付添わせてそのまま寝かせておいた。

それから、原告治三郎は、午前六時頃、亡武司に妻を付添させたまま自宅を出て、亡武司に追突された被害車両の持主に会つて、事故処理を終え、午後一時頃スクラップ屋に運び込まれていた亡武司の運転車両を見たところ、その破損状況が甚だしいのを見て驚き、亡武司の負傷が重いものと直感して午後一時三〇分頃急いで帰宅し、相変らず腹痛を訴えて苦しんでいる亡武司を自動車に乗せ、午後二時頃東病院に搬送した。

5  東病院の福家医師は直ちに亡武司を診察し、腹部膨満、著名な圧痛、腹壁緊急を認めて急性腹膜炎と診断し、同日午後四時三五分から開腹手術をはじめた。その結果、亡武司に横行結腸漿膜亀裂、腸間膜断裂出血、上行結腸圧挫による壊死穿孔が認められたので、横行結腸切除吻合、上行結腸穿孔部の巾着縫合閉鎖、腸間膜血管損傷部の止血処置等を行なつた(以下「第一回の手術」という。)。

第一回の手術後の経過は、連日三八度台の高熱と高度の白血球増加が見られ、腹膜炎は一時小康状態を得たように思われることがあつたが徐々に進行し、六月一八日頃より腸管麻痺による鼓腸が見られ、麻痺性イレウスの微候が現われ、全身衰弱、顔面蒼白貧血状態となり同時に肺炎を併発し、七月七日に右上腹膨満、圧痛が出現し、上行結腸と思われる部位の壊死穿孔を来たしダグラス窩膿瘍が疑われたため、七月一一日に穿孔部を人工肛門とすべく糞痿形成術が施行された(以下「第二回の手術」という。)。しかし、腹膜炎は更に亢進し、七月二五日には全身衰弱の度著明となり、腸痿孔よりの内容著しく、下熱するも尿量減少し、重篤となり、結局、当初の急性腹膜炎が未だ回腹を見ない状態のところで新たに上行結腸の壊死穿孔が起り全身状態を一層悪化せしめる結果となり、七月二九日死亡するに至つた。

三被告の責任

1  前記認定のとおり、亡武司は東病院で福家医師の開腹手術を受けた際横行結腸漿亀裂、腸間膜断裂出血、上行結腸圧挫による壊死穿孔が認められ、これらの原因たる腸管損傷(以下「本件腸管損傷」という。)は本件交通事故以外には原因となるべき事実は見当らないから右事故の際受傷したものとみる外はないので、柳澤医師が第二回診察において亡武司の腹部内臓に異常なしと診断したのは本件腸管損傷を見落したものでいわゆる誤診であつたことは明らかである。

2 そこで、柳澤医師が誤診をするにつき過失があつたか否かについて検討する。

(一)  〈証拠〉と鑑定の結果によれば臨床上次のことが認められる。

自動車運転者の衝突による腹部外傷は、いわゆるハンドル外傷がほとんどであるため肝臓、腸管等が受傷する機会が多いといわれており、また診断に当り体のどの部位にどのような外力を受けたかという受傷機転の把握は重要であつてこれにより腹腔内の損傷臓器をある程度予想することができるといわれている。そうして結腸は細菌の貯蔵所であり、外傷等によつて穿孔が起こると腸管内容の腹腔内漏出によつて大腸菌をはじめとする多数の腸内細菌による混合感染を来たし、急性腹膜炎を発症することとなる。腸穿孔の一般的症状としては、通常、穿孔と同時に激痛を来たしシヨツク状態となる。これは一過性で間もなく安定するが、やがて本格的な腹膜炎の症状が現れて来る。主な局所症状は腹痛や圧痛の他、腹筋緊張、筋性防禦、腸雑音の消失といつたものが特徴的であり、腸管が麻痺すると鼓腸、腹部膨満を来たす。全身症状としては発熱、白血球増加を来たし、二次性ショックとしての血圧低下その他の症状が現われ、末梢循環障害、各種臓器の低酸素症や機能不全を来たし、全身状態を悪化せしめる。急性腹膜炎は放置すれば致命的であり、治療開始が一二時間を過ぎると死亡率は急速に増加することが知られている。

しかし、この腹膜炎の症状、経過は千差万別であつて、同じ腸穿孔があつても受傷後しばらくの間は腹膜炎の発症が遅れて腹筋緊張、筋性防禦等の腹部所見が認められない場合があり、また、腹部X線撮影で腹腔内遊離ガスが認められた場合は消化管破裂はほぼ間違いないが、認められない場合でも消化管破裂の可能性を否定することはできないことを銘記すべきである。そうして、腸穿孔受傷後しばらくの間このような腹膜炎症状が認められないことがあつても、やがて穿孔部より漏出せる腸管内容によつて腹膜炎が発症するのであつて、自他覚的腹膜炎症状も出現して来ることになる。

したがつて、医師は、受傷機転により内臓損傷を考慮せねばならない場合は、当初症状がない場合も、受傷後少くとも数時間(五、六時間)は管理下において経過観察が必要である。そうしてできる限り同一人による反復診察が好ましい。

(二) 本件において、柳澤医師は、第二回診察の際、亡武司が泥酔に近い状態で自動車を運転中に他車に衝突し、約三時間後であることは聴取していて、受傷機転から内臓損傷の疑いを抱いて診察に当りながら、腹痛を訴えてはいるものの、血圧130/82、筋性防禦なし、腹部X線撮影で遊離ガスの存在を認めなかつたことから、右腹痛は打撲によるもので腹部内臓に異常はないと診断し、帰宅させたのであるが、右所見があつても受傷後三時間の時点では腹部内臓に穿孔などの損傷がないとは臨床医学上直ちに言えないのであり、腹部内臓に穿孔などの損傷があることが分れば緊急に開腹手術を行うべきこととなるのであるから、医師としては、患者の容態の変化に敏速に対応できるようにするため、受傷後少なくとも数時間(五、六時間)は亡武司をなんらかの形で医師の管理下において全身状態の変化、症状、所見の変化の経過観察を行うべきであつた。そうして、このような経過観察を行うためには入院させて同一医師による経過観察を行うのが最良であり、本件において亡武司を入院さすことができない事情は認められないが、仮になんらかの理由で入院さすことができなかつたとしても、少くとも、内臓損傷の可能性があること、その場合は危険であり、その治療は緊急を要すことを患者に告げ、なんらかの形で医師の管理下において経過観察をすべきであつた。

そうすると、柳澤医師が第二回診察において腹部内臓に異常はないと診断し、直ちに帰宅させたことは、医師としての注意義務を怠つたものと言わざるを得ないので、同医師に過失があつたものと言わねばならない。

もつとも、柳澤医師は亡武司を帰宅させる際、「痛みが取れないようであればまた連れてくるように」と伝え、看護婦も「様子がおかしく変つたことがあつたらまた来るように」と伝えているが、このような言葉は通常の患者に対して一般によく使われる言葉であつて、これをもつて医師の管理下において経過観察を行うことに代わるものと解することはできない。

3  次に柳澤医師の誤診と亡武司の死亡との因果関係について検討する。

(一)  前記認定の事実に証人福家理、同志賀厳の証言と鑑定人志賀厳の鑑定の結果を併せ考察すれば、亡武司の死亡について次のとおり推認することができる。

亡武司は昭和五〇年六月一八日午前〇時一八分頃本件交通事故により本件腸管損傷を受け、午前〇時三〇分頃被告病院で柳澤医師の診察を受け(第一回診察)、次いで午前二時三〇分頃再び被告病院で柳澤医師の診察を受け(第二回診察)、腹部内臓に異常はないと診断されて、帰宅させられた。この第二回診察の時点では腹膜炎症状は余りはつきりしなかつたと推認されるが、早晩結腸穿孔に起因する急性腹膜炎が発症することは必至であり、時間の経過とともに症状の悪化を来たすことは明らかで、可及的速かに開腹手術を行うことが必要であつた。次に、午前五時三〇分頃、原告治三郎の自宅から東病院に電話した時点で亡武司がそつとしておいてほしいと移動を拒んだことは苦痛がかなり強かつたものと考えられるのであつて、受傷後五時間強を経過して腹膜炎症状が顕在化して来たものと推認され、この時点で診察を受けておれば腹膜炎の診断は可能であつたと考えられる。かりに柳澤医師が第二回診察において腹部内臓に異常がないと診断して帰宅させることをせず、亡武司を入院させる等医師の管理下において経過観察をしておれば、遅くともこの時点では亡武司の腹膜炎が診断されたものと推認される。

しかし、前記認定の経過のとおりこの時点での受診は見送られ、亡式司が東病院に搬送され腹膜炎であると診断されたのは午後二時過ぎである。鑑定人志賀厳の鑑定の結果によれば急性腹膜炎は放置すれば致命的であり、治療開始が一二時間を過ぎれば死亡率は急速に増加することが知られているというのであるから、亡武司の本件腸管損傷の受傷後一四時間を経過したこの時点では腹膜炎は極めて危険な状態に進行していたものと推認され、結局この急性腹膜炎が回復を見ないまま前記認定の経過を経て死亡するに至つたものと認められる。

そうすると、柳澤医師の前記過失がなければ、亡武司は遅くとも午前五時三〇分頃までに急性腹膜炎の発症を診断され、腹膜炎症状があまり進行していない状態で開腹手術を受けることができたので死亡に至らなかつたものと推認され(証人福家(医師)はこのような損傷で腹膜炎を起して六時間以内に治療をした場合に死亡例は殆んどないという。)、柳澤医師の過失と亡武司の死亡との間に相当因果関係はあるものといわねばならない。

(二)  被告は、同日午前五時三〇分頃原告治三郎が東病院の看護婦に電話した際「すぐ連れてくるように」と言われたのに亡武司を東病院に搬送したのは同日午後二時頃であつたから、その間患者の側に受診拒否ないし放置という重大な過失があつて、柳澤医師の医療措置と亡武司の死亡との間に相当因果関係はない旨主張する。

なるほど、前記認定のとおり、この時点で亡武司が診察を受けておれば腹膜炎の診断は可能であつたと考えられるので、受診を見送つたことは早期診断の機会を逸したものといわねばならない。この点において亡武司の側にも程度は別として過失があつたことは否定できないと考える(亡武司の側の過失程度は後に判断する)。しかし、柳澤医師は第二回診察で亡武司を帰宅させる際、腹部内臓に異常がない旨伝えて、腹部内臓に損傷の疑いが残る旨は伝えていないのである。仮にその際腹部内臓に損傷の疑いが残る旨を伝えてあれば、付添の原告治三郎は必ずやこの時点で再び受診させたものと推認されるのであつて、柳澤医師が「痛みが取れないようであればまた来るように」と伝えてあるにせよ、原告治三郎が柳澤医師の腹部内臓に異常がない旨の診断を信じてもう少し様子をみようと考えたことは無理からぬことである。また、柳澤医師が第二回診察で、亡武司を帰宅させることなくその管理下で経過観察をしておれば、この時点で急性腹膜炎の診断をなし得たと推認されることは前記のとおりである。よつて、亡武司の側にも過失があるにせよ柳澤医師の過失と亡武司の死亡との間には相当因果関係があるといわねばならない。

(三)  また、被告は、亡武司が当日東病院の福家医師の手術を受けた際、切除しなくても回復すると判断されて切除されなかつた上行結腸の圧挫による損傷部分が不運にも後に腸管壊死をもたらし、これが直接の原因となつて死亡するに至つたものであるから、柳澤医師の医療措置と亡武司の死亡との間に相当因果関係はない旨主張する。

しかし、東病院の福家医師の手術とその後の経過は前に認定のとおりであつて、結局、当初の急性腹膜炎が未だ回復をみない状態の所で、新たに被告主張の上行結腸の壊死穿孔が起り、全身状態を一層悪化せしめる結果となつて死亡するに至つたのであるから(この点は鑑定の結果も福家医師の証言も同一である。)、柳澤医師の過失と亡武司の死亡との間には相当因果関係がある。

4  被告は被告病院を経営し、柳澤医師は被告に雇傭されるものであることは当事者間に争いがなく、右過失は被告病院の業務執行中のものであることは弁論の全趣旨により明らかであるから、被告は民法七一五条の規定により柳澤医師の右過失による損害を賠償すべき責任がある。

四損害

1  亡武司の逸失利益

当裁判所に顕著な昭和五〇年賃金センサス第一巻第一表によれば昭和五〇年産業計・企業規模計・学歴計男子労働者の全年令平均年間給与額は金二三七万八〇〇円である。そこで、右年収を基礎とし収入の五割を必要生活費として新ホフマン式計算法によつて中間利息を控除して死亡時における亡武司の逸失利益の現価を算出すれば(新ホフマン係数二一・九七〇四)金二、六〇四万三、七一二円となる。

2  亡武司の慰謝料 慰謝料は金七〇〇万円を相当と認める。

3  原告治三郎の葬儀費用 金三〇万円と認める。

4  過失相殺

職権で過失相殺につき検討する。

亡武司の死亡について、亡武司及びその保護者にも過失があつたことは前記認定のとおりであるが、前記認定の事実による亡武司の側の過失の度合からみて、前記損害のうち一割を減じた額を賠償を求めうべき損害額とするのが相当である。

5  相続

6  弁護士費用 各金四〇万円をもつて相当因果関係のある損害と認める。

五結論

以上の次第で、被告は原告治三郎に対し前記損害額合計金四九一万八、四七七円、その余の原告らに対し各自前記損害額合計金四六四万八、四七七円並びに右各金額より弁護士費用金四〇万円を控除した金額に対する不法行為の翌日である昭和五〇年六月一二日より支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担については民訴法九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官光廣龍夫 裁判官大谷吉史 裁判官都築民枝)

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